ビスタライン

大樹寺から岡崎城を望む

ビスタライン

江戸幕府の第三代将軍である徳川家光が、先祖の菩提寺である大樹寺の本堂から祖父・家康の生誕地である岡崎城を眺めることができるように伽藍を配置しました。 大樹寺と岡崎城を結ぶ眺望をビスタラインと呼びます。

【ビスタラインとは】

ビスタラインの「ビスタ」とは「眺望・展望」を意味する言葉で、大樹寺と岡崎城を結ぶ約3kmの直線をビスタラインと呼びます。 これは徳川三代将軍家光が寛永18年、家康の十七回忌を機に徳川家の祖先である松平家の菩提寺である大樹寺の伽藍の大造営を行う際、 「祖父生誕の地を望めるように」との想いを守るため、本堂から三門、総門を通してその真中に岡崎城が望めるように伽藍を配置した事に由来しています。 そして歴代の岡崎城主は、天守閣からここに向かい毎日拝礼したとも伝えられています。 再建された岡崎城も、大樹寺から望む眺望は約370年前の当時のままで、門越しに望む岡崎城の姿はまるで額の中の絵のようです。

【測量調査】

約370年の歴史を持つ、大樹寺から岡崎城を望む歴史的眺望であるビスタラインは、法や条例による規制がない為に、 このライン上で生活される方々が眺望を遮らないように配慮して建物を建築することで守られてきました。 こうした背景から、市では景観法に基づく景観計画の策定作業を進めるなかでビスタラインを市民共通の資産として捉え、 今後もこの景観を後世に引き継ぐべく、その保全の検討に必要な基礎的資料の作成を目的に測量調査を行いました。

【金属鋲】

現在は大樹寺小学校南門となっている大樹寺総門の開口部の真ん中に、岡崎城が望めるよう三門の前に視点場を設定し、 そこから岡崎城を結ぶ約3キロメートルの眺望の軸線をビスタラインと確定しました。 そして交差する道路上に、「ビスタライン」と明示した直径5センチの金属鋲を92箇所に設置しました。 これで大樹寺からしか確認できなかったビスタラインを、ライン上の各場所でその位置を確認することができるようになりました。